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垂井曳山祭りの起源は古く、南北朝時代の文和2年(1353年)、里人が花車3台を造って曳きまわししたのが始まりとされる。 その後江戸時代の安政年間になって舞台を造り、豊年祭として曳きだし、子供による能狂言を演じるようになったとされる。 現在、三輌の絢爛豪華な曳山があり、重要有形民俗文化財になっている。 写真は一番山(東町)の鳳凰山(ほうおうざん)の奉芸、鎌倉三代記、三浦住家の段ですが、二番山(西町)擧鱗閣(はんりんかく)は鬼一法眼三略巻、一条大蔵譚(おおくらものがたり)、三番山(中町)紫雲閣(しうんかく)は碁盤太平記、山科閑居の場です。 |
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